日本で生きる外国人たち 日系2世が経営する「ブラジル雑貨店」

 日本で暮らす在留外国人は約300万人。2018年には出入国管理法が改正され新たに在留資格として「特定技能」が新設され、2019年4月から介護や建設、農業など人手不足が深刻化している産業でも外国人を受け入れるようになった。今後、日本で働く外国人はさらに増えると予想されるが、すでに日本で働き生活をしている外国人たちはどのように生き、日本社会と向き合っているのだろうか?

 ブラジル人コミュニティがつくられている街をブラジリアンタウンと呼ぶのだという。浜松市を中心とした静岡県西部は日本でも有数のブラジリアンタウン。しかし、訪れると街の中にブラジル人街のようなものがあるわけではないようだ。レストランで家族連れのブラジル人を見たり、白壁の土蔵が建つ長閑な田園地帯の道路でブラジル人とすれ違うことはあっても、ここがブラジリアンタウンという実感はあまりわかない。多くのブラジル人たちは静岡県西部に集中している自動車メーカーなどの工場で働いているようなのだが、そうした工場の周辺を訪れても日本全国どこにでもある工場の風景があるだけでポルトガル語が飛び交っているとか、ブラジル国旗がたくさん翻っているということもない。ブラジル人たちは表面的には日本社会に溶け込んで生活しているように見える。

 浜松市に隣接する磐田市は人口約17万人の地方都市だ。市の統計によると今年1月末現在で外国人の人口は8421人で、うちブラジル人が半数以上の4805人を占める。磐田市も日本のブラジリアンタウンの一つとされている。市内にはヤマハの工場が点在してあり、さらにスズキの磐田工場もある。ヤマハの工場とスズキの工場のちょうど間にイオンの商業施設があるのだが、その近くの道路沿いにポルトガル語でエンポーリオブラジルなどと記された大きな看板を掲げた店舗を見つけた。看板には肉やパンの写真が掲げてあったので「レストランだろうか?」そう思って平屋建てのその建物のドアを開けるとレジカウンターに立つ女性が接客をしているところだった。店内の棚には所狭しと食料品や生活雑貨品が置かれていて、それら商品のほとんどはポルトガル語の表記だ。店舗奥ではソーセージやハムなどの加工肉や精肉を販売するスペースもあり、ポルトガル語の雑誌なども置かれている。

エンポーリオブラジルの店舗と同店を経営する宮部マルコスさん=静岡県磐田市

 エンポーリオブラジルは、磐田の工場などで働くブラジル人向けの商品を取り扱う雑貨店兼精肉店だった。ブラジル人たちが次々と車で乗りつけて商品を買い込んで帰っていく。夫婦や親子連れの姿も見られ、店内ではポルトガル語の日常会話が交わされ、海外にいるような錯覚に襲われる。国際送金サービスの取り扱いもしていることから買い物客にとどまらずブラジルの家族などに送金するため毎日、多くのブラジル人がエンポーリオブラジルに来店するのだ。

ひっきりなくブラジル人が訪れ、お客さんとのポルトガル語の会話も弾む

 エンポーリオブラジルを経営しているのは株式会社エンポーリオブラジル代表の宮部マルコス(Marcos Myabe)さんだ。日系ブラジル人2世の宮部さんは1973年にブラジルのパラナ州ロンドリーナ市で生まれたという。地元の大学に進んだが、3年間通った後、1998年に20代半ばで出稼ぎのため来日した。「ブラジル国内に仕事がなく、派遣会社から日本の自動車工場で働くことを薦められた。給料もよかった」と話す宮部さん。1990年に改正出入国管理法が施行され日系人の在留資格が大幅に緩和されたことで多くの日系ブラジル人が単純労働者として日本にくるようになった。宮部さんが来日したのもこうした時代の背景があった。

 「最初は2年間だけ日本の自動車工場で働き、その後はブラジルに帰って復学し大学で残りの勉強をするつもりだった」と宮部さん。しかし、以降、46歳になった今日まで宮部さんは日本で暮らし、ブラジル人向けの雑貨店の経営者になった。自動車工場で働く単純労働者として来日した宮部さんはどのようにして経営者になったのだろう?その軌跡は日本社会にブラジル人コミュニティが根付いていることの証のように思える。ブラジリアンタウンとはブラジル人街のようなものではないが、日本の地域社会にしっかりと築かれたブラジル人たちのネットワーク、コミュニティなのだろう。

(続く)

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