Twitterこねくしょん M16A HAYABUSAインタビュー ~鳩山由紀夫元総理へ直接謝罪/ネトウヨの過去と反ネトウヨの現在を見つめて

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M16A  HAYABUSA 言い方が悪くて恐縮ですが「先行」はそちらから宜しくお願い致します。

――はい、わかりました。では、最初の一手なのですが、(政治の話はさておき)「天文学との出会い」というお話を頂戴できませんでしょうか? プロフィール欄には天文学に興味を持っていると書かれています。

M16A  HAYABUSA きっかけは、小学校の頃に図書館にあったカール・セーガンさんが監修されていた「コスモス」を見たのがきっかけでしたね。

「宇宙を平面で考えるな。立体的に考えろ。星座は違う角度から見たら全く違うのだ」

当たり前な話ですが、あれが物事はあらゆる方向からアプローチしろ!と云う発想のきっかけとなるものでした。今でも「ニュートン」は愛読書です。

参考資料

カール・セーガン

「トンデモ話検出キット」

http://www.geocities.co.jp/Milano-Aoyama/2192/tondemo.htm …

――ふむふむ

M16A  HAYABUSA 博士は嘘とかデマが心底大嫌いな方でした・・。

――ウィキのほうでは、懐疑主義者という書かれ方もされていましたね。とことん、嘘とデマを嫌っていた、と。

「物事はあらゆる方向からアプローチしろ!と云う発想」を少年時代に手に入れられたのは、ラッキーでしたね。すばらしいと思います。

M16A  HAYABUSA ところが中学になってから、それが狂いだしました。ある人がきっかけで・・。それが小林よしのりでした。確か中学3年の頃だった筈です。

――はい

M16A  HAYABUSA あの当時は阪神淡路大震災やら地下鉄サリン事件とかで世の中がぐちゃぐちゃだった記憶があります

――1995年ですね。

M16A  HAYABUSA あの頃の小林よしのり氏は正に時の人であり、オウム真理教に暗殺未遂されたり、薬害エイズ事件ではヒーローになったりとか、カリスマでした。そんな「強い人」に私は惹かれた訳ですね。私は当時は落ちこぼれでしたからね。

――なるほど。私は、ゴーマニズム宣言は、「週刊SPA!」では最終回までは読んでいました。

M16A  HAYABUSA 確か、オウム関連で宅八郎と大喧嘩してケンカ別れした頃までですね。まぁ最近実に20数年ぶりに「SPA!」で連載が再開されたみたいですね。今は見ていませんが・・。

――それはともかく、小林よしのり、きっかけというのが、HAYABUSAさんは、でかかったんですね

M16A  HAYABUSA その後、何とか志望校にも合格して、高校に進学したわけです。

で、決定的な本が出たわけですね。そう「戦争論」です。この流れは恐らくはもう鉄板でしょう。

――私は未読ですが、KAZUYA氏も影響を受けたという本ですよね

M16A  HAYABUSA ・・( ;´・ω・`) あの年代層は余りにも影響を受けた人が多すぎます。在特会の桜井誠然り・・

――ああ、そうなのですね……。

M16A  HAYABUSA ハッキリ言いますが、小林よしのり氏は「世間はわしのことをネトウヨの開祖と言っているが冗談じゃない!!」とか何とか言っていましたけど、とんでもない、正に全ては「戦争論」から始まったのです。

――小林よしのりの「戦争論」が元凶という話という話でしょうか?(元凶と言い切っても大丈夫ですかね?)。

 M16A  HAYABUSA 元凶と言いますか「原点」ですね( ;´・ω・`)

――はい。原点。ネトウヨがたくさん生まれるきっかけですよね

M16A  HAYABUSA まがりなりにも日本は「表現の自由」と云うものが有りますから、何だって言っても書いても構わないのですから。但し、責任を全て取ることが前提ですが。この事に関しては、あなた様も重々認識しているとは思いますが?

――ちょっと考えさせてください。

                 *

――憲法に書かれている「表現の自由」に関しては、僕は、 国家権力が国民の「表現の自由」をおかしてはならないという意味で理解しているタイプです。

発言なり発表なり表現の手法なりに関して、人が責任を取る必要性は確かにあると思います。あと、「表現の自由」については、いわゆる自由主義体制のおかげで咲く大輪の花のようなものだと理解しています。

M16A  HAYABUSA 至極ごもっともな意見なのですが、現実はTwitterを見れば判りますが、必ずしもそうではないと云う事実が有ります。

――暗黒面ですね。ところで話は変わりますが、M16A HAYABUSAさんのこのTwitterのアカウントは、2016年8月に登録となっていますが、このTwitterのアカウントを入手した動機であったり、Twitterについて考えていることを伺いたいです。

M16A  HAYABUSA 実はこのアカウントは二代目なんですよね。その前のアカウントではネトウヨとして大暴れしていました。自分で言うのはあれですが、そこそこ名の知れたアカウントでした。

――会話の自然な流れとして、その一代目のアカウントの時代・時期の頃の話も伺いたいです。おおざっぱでも大丈夫です。

M16A  HAYABUSA あの当時は「在特会」の活動が「最盛期」を迎えた頃でしたね。と、同時にTwitterが産声を上げた時とほぼ同時期だったと記憶しています。私自身も新しい物好きでもありましたが、コレは間違いなく「使える!」と直感で確信しましたね。

――ふむふむ

M16A  HAYABUSA つまりは「在特会」を後方支援するためのロビー活動と言いますか、草の根運動的なやり方ですね。ただ、その活動自体が「アレ」でしたが・・

当時はまだTwitterのガイドラインも今と違い「緩かった」ので、ここには到底書けない様な、凄まじくえげつない文章を書いていました・・

――うんうん(すごく真面目にうなずいております)

 M16A  HAYABUSA  が、とある事件がきっかけで状況が一変します。それが・・

「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」です。

――ありましたね。M16A  HAYABUSAさんご自身は、どのような感触を当初は得ていたのでしょうか。その「京都朝鮮学校事件」については。

M16A  HAYABUSA 例の事件をYouTubeで見たときは正直「コレはダメだ」と思いました。ハッキリ言いますが、子ども達には何ら罪は無いわけであり、そもそも問題の論点とは大きく逸脱した行為・・つまりは主旨とは全く違う暴言・・いや「ヘイトスピーチ」を垂れ流しているだけだったのですから。あれは単なる日頃の不満を彼らにぶちまけているだけに過ぎなかったんです。

――はい。一発で「コレはダメだ」と思った、と

M16A  HAYABUSA ですが、あの当時の私はまだ、あんなのはごく一部の人間だけであり、会に属するすべての人間があんなんじゃないとは思っていたわけです。

ただ、桜井誠が裁判に一度も出廷しなかった事に対しては、だんだんと懐疑的な心境になってはきましたが。

 で、3,11があった訳です。

――はい、その流れですよね。2011年3月11日。

M16A  HAYABUSA あの震災の後、全国各地で反原発の一大ムーブメントと云うべき大規模な運動が繰り広げられていました。あの当時は、右も左も一切関係なく、皆が反原発の下一致団結していたのです。

在特会の同志的な存在である「主権回復を目指す会」も、「(原発事故は)誰もが否定し得ない惨禍。国土を守るためにも脱原発の声をあげなければならない」と言っていたのです。

――はい

M16A  HAYABUSA ところが、同じ保守派に属するはずの在特会は、まったくの逆でした。

――初耳です。詳しくお聞かせねがえませんでしょうか? 不勉強でした、その点は。

M16A  HAYABUSA 反原発・脱原発運動に「左翼の魔手を見た」という桜井会長は、「原発の火を消させない国民会議」なる団体を立ち上げ、自ら代表に就任。早くも同年4月17日には東京・渋谷で「原発の火を消させないデモ行進」を行ったのです。

――4月17日は確かに早いですね……。

M16A  HAYABUSA が、案の定と言いますか、シュプレヒコールも原発と直接的に結びつくようなものは皆無でした。「日本の精神をむしばむ朝鮮人を叩き出せ!」「原発を反日左翼から守れ!」 あげくには沿道の冷たい視線(休日の渋谷など、そんなものでしょう)に苛立ったのか、「 渋谷で遊ぶことができるのも電気のおかげだ!」といった罵声まで飛び出していました。

――このタイミングで、M16A HAYABUSAさんは、在特会と離縁する心境に至ったのでしょうか?

M16A  HAYABUSA いや、決定的なきっかけは、この4ヶ月後の8月6日広島で開催された「日本の核武装を訴える」と云うトンデモ街宣がそうでした。

しかも原爆ドーム前で・・

原爆投下の日に、、、

当時のウェブサイトの魚拓の文章がまだ残っています

 〈原発を守ろう! 核武装推進! 街頭演説会  in  広島 広島から日本覚醒! 日本を守るために一日も早い核武装を! 反日国家の核兵器を容認する反日極左を瀬戸内海に叩き込め!

 平等・人権の名の下に長く日本人の人権を貶め続けて来た反日左翼に対して、我慢の限界にある日本人が本気で怒りを爆発させます。広島市の平和公園に設置されている『安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから』と刻まれた記念碑は、平和の象徴として存在しているといわれています。しかし、実態は自虐史観のモニュメント(贖罪意識という名の平和の押し付け)にすぎず、これこそ左翼の政治プロパガンタ以外の何者でもないのです。広島は国を語ることも独立を語ることも、そしてそれを思うことや表現する行為さえ邪悪視されてきました。今こそエセ平和主義に断固NOの声を上げましょう! 私たち日本人が真の自由を獲得するときがきたのです〉

――魚拓ですが、読みました

 M16A  HAYABUSA ・・無茶苦茶でした

――この出来事の後にも、それでも在特会と一緒に動いていた人もいたわけですよね

M16A  HAYABUSA 京都事件以降はかなりの離反者が、いたと記憶していますが、一番大きかったのはヘイトスピーチ法の設置でしたかね。

――法的にも認められなくなったという話ですね、路上のヘイトスピーチ。

念の為、確認しておきますと、2011・8・6日の在特会の核武装街宣が、主な、ネット右翼活動からの離脱という形にM16A HAYABUSAさんはなるのでしょうか?

M16A  HAYABUSA そうです

――M16A  HAYABUSAさんのTwitterのプロフィールですが、最初に読んだときは、びっくりしました、本当に。

『私自身以前は、在特会と主権回復を目指す会の熱心な支持者であり、チャンネル桜の「二千人委員会」に参加するほどの バリバリの「ネトウヨ」でした・・ 今は贖罪を兼ねて日々生きています・・』

この一文です。

「贖罪」というのは、大変、重たい言葉だと思いました。

M16A  HAYABUSA 結局ヘイトスピーチと云うのは、言葉を用いた「殺人」なのです。誰かを傷つけ、人格を否定している訳ですから。一生心に残る傷を私は誰かにやってしまった訳ですから。

――ああ、そういうことなんですね><

M16A  HAYABUSA 恐らく多くのネトウヨを辞めた人は、辞めたらそれで終わりだと思っているみたいですが、それはとんでもない勘違いです。被害者は今でも苦しんでいるのですから。

――さきほども話題になりましたが、責任に関する話ですね

M16A  HAYABUSA 私は今に到るまで、名前が分かっている人には直接お会いして謝罪しています。

鳩山さんとか・・

――鳩山由紀夫元総理ですね

 M16A  HAYABUSA 尤もご本人は私の事など全く知りませんでしたが・・と言うよりも、あの方曰く、私みたいなネトウヨから本当に数千人単位で毎日攻撃に晒されていて、一々相手になんか出来ない、と言われていました。

――はいはい。M16A HAYABUSAさん、筋を通していらっしゃるんですね

M16A  HAYABUSA とは言え、ご本人は全く気にしていませんよ。と、言われていました。

――直接、会ってというのは、なかなかやれることではないと思います

M16A  HAYABUSA 政治家は嫌われるのが仕事ですからと、仰っていました。

――ほお、それは興味深い話です

お話はおおよそ頂戴できたと思います。なにか最後にひとこと、コメントがほしいです。そうですね、例えば、若い方たちへのメッセージなどはいかがでしょうか?

 M16A  HAYABUSA Twitterで、何を言おうがそれは自由だ。だが責任は取りなさい。でないと、私みたいに一生苦しむことになるし、貴重な時間を無駄に過ごす事になるぞ。それと、自分の頭で物事を考えなさいと。

――ありがとうございました。では、次回の「Twitterこねくしょん」のアカウントのご紹介をお願いできますか?

次回は、愛国心の足りないなまけ者さんに、決まりました。

取材・構成/草野信

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