意外?!ホームドラマの女王、橋田壽賀子さんが「孤独を愛した必然」

脚本家の橋田壽賀子さん(95)が4月3日、急性リンパ腫のため亡くなった。橋田さんと言えば、「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」など家族をテーマにした国民的なドラマを数多く手掛けた。(山場豊信)

家族をテーマに作品を作り続けてきた橋田壽賀子さん

橋田さんは早稲田大学中退後に、役者や脚本の勉強をしたのちに、松竹に入社し、脚本部に在籍。作品制作の腕を磨き、社内異動を機に独立した。64年に脚本を手掛けた東芝日曜劇場『愛と死をみつめて』のヒットにより注目されて今に至る。66年、41才だった時に4つ年下のTBSプロデューサーの岩崎嘉一氏と結婚するも88年に肺せん癌で亡くして以降は独り身を貫いていた。

「22年間の結婚生活はあったものの、自立心が強く、結婚生活も仲はよかったのですが、橋田さんは自宅の熱海で執筆活動に没頭し、岩崎さんは仕事のため、主に東京の別宅で暮らしていました。岩崎さんの他介後も身内はあえて作らず、一人でいることを愛しているようでした」(ワイドショー関係者)

あれだけ、ホームドラマや家族を題材にした作品を世に送り出していた割りに本人は自立心が強く、孤独を愛しているかのようだったという。

「橋田さんは一人が大好きとよく公言していてで、ベタベタするのが好きではありません。友達もほとんど作らず、唯一、仲の良い10才以上離れた女友達とよく船旅にいっていたくらいです。それ以外はいつも書斎で作品と向き合う人生だったと思います」(橋田さんを知る人)

橋田さんは一人っ子で子供もおらず、幼い時に両親とも死別して結婚生活も22年だけ。身内と呼べる人がいない時間が長かっただけに、固定観念に囚われず、家族のあるべき姿や理想像、または試練など、想像が広がり、味のある作品作りにも繋がったのかもしれない。

そんな橋田さんも齢95年。最後は病気だったが、天寿を全うしたと言っていいだろう。これまで健康の秘訣は何だったのか。

「やはり、物書きの仕事をしていただけに、頭は晩年までしっかりしていました。また、運動もしていて、90才を超えてからも専属トレーナーを付けているほどで足腰も丈夫だったと思います」(前同)

昭和、平成とお茶の間に娯楽を提供し続けてきた橋田さん。その作品群が伝えてきた家族の温かみは日本人の心にこれからも生き続けていくはずだ。

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