『噂の真相』元編集長・岡留安則氏の逝去によせて一筆

「岡留さんの沖縄に対する思い遣りや配慮の気持ちは本物だったと思います。自分が鹿児島県の出身で、旧・薩摩藩が琉球を苦しめた過去まで振り返ったうえで、『噂の真相』の仕事を終えた後に東京から沖縄に移住。しっかりと沖縄に寄りそおうとしていた。なかなかできることではない」(出版関係者)

いまどきの若者は、『噂の真相』といっても知らない人が多いだろうから解説しておきたいのだが、サイト『LITERA』の記事からそのまま引用することにしたい(『噂の真相』の元スタッフの方々が運営しているサイトだ)。

『“タブーなき反権力雑誌”を標榜し、2004年に休刊するまで、マスコミが書けない皇室や警察、検察、政治家のスキャンダル、大物作家のゴシップなどを暴露してきた雑誌だ。森喜朗首相(当時)の買春検挙歴、安倍晋三首相のパチンコ業者との癒着や自宅火炎瓶事件の背景にあった暴力団との関係、則定衛東京高検検事長(当時)の愛人スキャンダル、宗像紀夫東京地検特捜部長(当時)のパチンコ業者による接待疑惑など、マスコミを震撼させるスクープを連発してきた。』

人気のある月刊誌であった。月刊誌としては『文藝春秋』に次ぐ売上を誇っていたとも言われる。様々な読者から支持され、熱視線を浴びていた雑誌であったといえるかもしれない。

ただし、『噂の真相』(および岡留氏)は、毀誉褒貶も激しいものがあった。

ジャーナリストの江川紹子さんは、Twitterで、「1年間にわたって、有る事無い事ごたまぜにされ書かれてほんと酷い目にあったけど、でも合掌」。「『噂の真相』は、取材もせずに、人を貶めるようなことを書くのも平気な最低の雑誌だった。下手な鉄砲も数を撃てば当たることもあったのだろう。しかし、その『あたり』の背景には、どれだけの被害があったのか、あれを称賛する人たちは目をつぶって見ないのね」と語っている。

いわゆる、イエロー・ジャーナリズム誌として『噂の真相』を認識していた人もいたのは確かである。評判の良さと悪さの落差が激しかったといえそうだ。

  新宿ゴールデン街の、ある飲み屋の方から昔話を、以前、伺ったので紹介しよう。
「昔のゴールデン街は、共同通信と朝日、読売の記者が多かった。朝日と読売の記者が仲が悪かった。まだ部数が一万部くらいの頃に、『噂の真相』の岡留がゴールデン街に来て新聞記者から話を聞いていた。岡留なんてのは、瓦版屋だ」
  酒場で様々な情報やネタが飛び交っていたのである。ただし、ペラペラ、話をするわけではなく、「昔の新聞記者の酒の飲み方は寡黙だった」(前同)とのことだ。
  紙が歴史的使命を終えて、ネットにバトンタッチが行われようとしている時代に、紙媒体で大成功を収めた名物編集長が亡くなった。
  その頭脳には、誌面化を見送った、大小、様々なスクープもあったはずである。もしかしたらであるが、いずれ岡留氏を扱った伝記なり記録文学を書く人が現れるかもしれない。
  典型的な「団塊の世代」だった岡留安則氏。彼の生きた昭和、平成の時代も終わり、新たな時代に日本は移り変ろうとしている ――

文/明坂圭二

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