神戸連続児童殺傷事件と天才精神科医・中井久夫

 神戸連続児童殺傷事件、別名・酒鬼薔薇事件(さかきばら・じけん/1997年)を覚えている方はどれだけいるだろうか。
 近年、稀に見る猟奇事件であった。
 最近では、犯行を行った元少年A(当時、中3の14歳)の本『絶歌』(太田出版)も売れたようであるから、「あ、それは知っている」という若い方もいるかもしれない。社会を震撼させた事件だった。
 エグル・ニュースの社会カテゴリー、第一弾は、『酒鬼薔薇聖斗事件』(さかきばら・せいと・じけん)を選ぶことにした。
 当時の新聞・テレビの社会部記者は、この事件を追いかけて大忙しだったのではないだろうか。社会的関心、世間の関心も、相当なものがあった。なにせ、学校に、子供の生首をさらすという猟奇殺人事件。犯人が新聞社に手紙を送った出来事。犯人が捕まったときは、中学3年生という驚異的な幕切れ。話題性には事欠かなかったのである。
 エグル・ニュースは、基本、「コタツ記事」は書かずに、独自のニュースを配信するように注意している。なので事件の概要についてはここでは書かない。知りたい人はウィキペディアにどうぞ。
 話を変えよう。
 筆者もこの事件には関心を持っていた。そして、ノンフィクション作家の高山文彦が『「少年A」14歳の肖像』(新潮社/98年の本)という本を出しているのを、たまたま古本屋さんで見かけて、立ち読みしたのであった。私が読んだのは文庫本で、2004年前後だったと記憶している。
 この本で、高山文彦は、アメリカの精神科医、サリヴァンについて言及していた。世の中の様々なことにアンテナを張っている私はすぐにこう思った。

「サリヴァンといえば、精神科医の中井久夫だけど……。サリヴァンを高く評価して、日本にも紹介しているのは中井久夫がやった仕事だよなあ。」

 当時は、この程度の感想しか持たなかったが、後日、これが思わぬ展開をみせる。
 独自研究で、たまたま国立国会図書館に調べ物をやりにいったときに、偶然、資料を入手したのである。
 どんな資料か?
 神戸連続児童殺傷事件の精神鑑定の助手を務めた精神科医の文章をゲットしたのだ。助手の精神科医のフルネームも知った。神戸大学医学部出身の開業医であった。毎晩、家に帰ると自宅前にはマスコミがDSM-4(精神障害の診断と統計マニュアル 4版)を持って待ち構えていたという話を書いていた。
 そして、私は国会図書館から帰宅後、助手を務めた精神科医の名前をネットで検索して、いろいろと考え事をしだした。しばらくしてから、私は、心の中で、「あー!」と気づいたのである。

「これはどう考えても、神戸大学とも関わりのあった精神科医である中井久夫が精神鑑定を務めたという公算が大きい!」

 あとは、推理がすらすらと流れてきた。ひらめきである。

「新潮社が警察取材をやって、精神鑑定者が誰なのかをキャッチして、高山文彦が本を書くときに鑑定をやった中井久夫の本を入手。アメリカの精神科医のサリヴァンの話を引用して書いたんだな!」

 私が懇意にしている臨床心理士も、中井久夫の話になると、「サリヴァン」「天才」というコメントが出てくる。

 また、軍事用語・諜報用語であるところの、「オープン・ソース・インテリジェンス」を、私は当時、自然体でやっていたともいえる。「合法的に入手できる資料」を「調べて突き合わせる」手法である。インテリジェンスは諜報機関という意味があるのと同時に、元外交官で作家の佐藤優氏によれば「行間を読む」という意味合いもあるのだと言う。

 精神鑑定をやったのは、中井久夫で、ほぼ間違いないなと確信していたゼロ年代半ば。
 この事件を考えるうえで、必読書とも言える本が世の中に送り出された。『少年A矯正2500日全記録』(草薙厚子/文藝春秋)2004年4月の本である。

 この本も、精神鑑定を行ったのが中井久夫であることを隠している。
 だが、精神鑑定の重要なワンシーンを記述している。そして、中3の少年Aに、第一発目に中井久夫が質問した発言が残っているのだ。

「いいたくなければいわなくてもいいけど」と中井久夫は言ったうえで、どんなイメージを脳内に広げて、オナニーをしているのか、と少年Aにすぐさま尋ねたのだ。少年は猫を殺している情景などを思い出して、勃起して、オナニーをしていると中井久夫に答えた。
この件について、筆者の草薙厚子は、精神鑑定医はこれで事件のことが一発でわかったと書いている。精神鑑定を務めた中井久夫は、「おおよそ、そんなところだろう」と予想を立てたうえで、少年Aに最初の精神鑑定の質問をしているのが、かなりすごい。天才であるゆえか。

 それとともに私も同じ男性として私は複雑な胸中にもなった。
 自分でいうのも何だが、わたしには、誠実な想像力があったのだ。哲学者・カント流の「想像上の地位転換」が以下のように起きたわけである。

「ああ、僕も中3の頃はオナニーばかりしていたよ。それは女性のヌードにあこがれてのオナニーだったけど、人はなにかの拍子に、猫を殺している情景を思い出して勃起して射精するように成長することもあるんだな……。他人事じゃないよ……。中3年生の頃の性欲は誰もがそうだが、桁外れなものがあるんだから」

 結果を、先に述べる。
 少年Aは、まだ脳が若かったこともあり、普通になった。関東医療少年院で女医に恋心を抱くようになり、担当男性の許可を得たうえで、その女医をイメージして夜にマスターベーションをすることを許されるようになったのだ(このあたりは草薙厚子の本にしっかり書かれている)。

 それから、およそ10年後、文藝春秋社は、世に問うた。
 月刊誌「文藝春秋」において、神戸連続児童殺傷事件の少年審判決定書の全文を公表したのだ。
 ラジオのニュースで知り、私はコンビニで立ち読みした。
 中井久夫のものの考え方が伝わってくる優れた一文であった。

 医療少年院にいくべきこと、愛情を持って接されるべきことなど、囲碁でいう布石が打たれていたのだが、医療少年院には、女性がいたほうが良いとも中井久夫は指摘していた。
 
 ここなのだ。
 
 女性の存在。
 これがあったから、少年Aは、恋心を持つ女医と出会った。そして、前述したようにマスターベーションの許可を得て、女性をイメージしながら射精するようになった。これがなかったら、少年Aは、大人になっても、一生、残虐な猫殺しの情景などでオナニーをする羽目になっていたのだ(どうですか、読者の皆さん? 重要なことを話しているとは思いませんか?)

 チョロい奴と言われたら、そのとおりとしか言いようがないが、コンビニで立ち読み中にわたしは涙ぐんだ。さすがは中井久夫だな、素晴らしいな、そして、少年Aも良かったな、と思ったのだ。

 エグル・ニュース、第一回目の社会記事は、男性のオナニーの話がでてきて女性は読みにくいわ、社会正義のことを考えたら一生牢屋にいれておけという社会防衛論者には読みにくいわ、精神科医の中井久夫だってまだ断定できないとつっこみは入れられそうわと、マイナスの三拍子が揃った記事になったことは、筆者も理解している。
 その点は、しっかりと受け止めたいと考えている。
 
                  *
 
 それはさておき、ここで白状しなければならないことがあるのだ。
 私は、孟子の性善説の信奉者なのである。
 それもあって、元少年Aを、これ以上、非難する気にはなれないのである。

 直観像素質(瞬間的に見た映像をいつまでも明瞭に記憶できる)を少年Aは持っていたが、これがなんなのかというと、残虐、サディスティックな映像が脳内(難しい言葉でいうと表象)で、きれいに流れている状態だったということなのだ。
 精神鑑定医が天才だったこともあり、これも見破ることができた。中井久夫もさすがとしかいいようがない。一生、残虐な風景を思い浮かべて、性的興奮を覚えて勃起&射精する大人になって取り返しがつかなくなる未来もあったのである。中井久夫はそのストッパー役になったと言える。そして、日本の法務省の矯正医療の実力も、まんざらでもないではないかと思ったのである。
                  *

 さて、このあたりで記事は終わりにしよう。
 インターネットの大海原には、いろいろな記事や見方があるし、ウィキペディアの記述も豊富だが、ともかく「偏見」から開放される人が少しでも増えてくれればいいと思い、この記事を執筆した。

 ある種の複眼的思考、物の見方や考え方を変えるチャンスになってくれれば、良いと思う。孟子流の性善説の考え方をしている私としては、いわゆる「修復的司法」が、事件の被害者遺族と加害者である元少年Aの間でいつか起きないかと期待している。

こうした私の発言が、「極めて甘い」ことは自覚している。なにせ不幸な出来事が起きた。未然防止に失敗した。とはいえ、捨てきれないのだ。加害者が誠実に被害者の遺族に対して、「私はあの時、かくかくしかじかで、犯行に及びました」と発言。被害者の遺族がしばらくは聞いたあと、納得してから、「まだ怒りは収まらないが、あなたにも事情があったことは分かった」などのやり取りをする未来のイメージ。
「そんな修復的司法なんて、実現するわけ無いじゃん」という声がすぐに飛んでくるのは理解しているのである。3回目の答えになるが、それでも孟子の性善説を信念としている私は、「いやいや、未来に起こるかもしれないじゃん。というか、修復的司法が起きたほうがいいと思うよ」と考えるのである。

そのほうが、世の中はきっと明るくなると思う。

文/明坂圭二

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