考察・ゴーン問題「日産の現・経営陣にどこまで経営責任があるのか」

4度目の逮捕となったカルロス・ゴーン容疑者。株主やメディア、ネットの反応などを見ると、西川社長以下、現経営陣への経営責任を問う声は大きい。確かに、不正を容認していた責任がゼロだとは思えないが、むしろ取締役会と人事権の全てを握った絶対権力者だったゴーン容疑者相手に、ここまで膿を出せたのは状況を鑑みれば十分、責任を果たしていると言えるのではないか。                       〈文責/山場豊信〉

そもそも責任とは権利とセットであるはずだ。日産のゴーン問題に置ける現経営陣が本来、求められた責任の果たし方とは社内で問題を明らかにして、ゴーン前会長に説明を求め、問題を解決してもらう事である。しかし、そもそも現経営陣はゴーン氏が任命しており、人事権はゴーン氏にあった。当時、取締役会を牛耳るゴーン氏に対し、問題を明らかにして解決を迫るなど、西川社長と言えど不可能な状態だったと言っていい。そんな事をしても、単に声をあげた西川社長ら声を上げた取締役がただただ解任されるだけであるのは明らかだった。それなら、普通のサラリーマン取締役としては、穏便に黙っているだけで役員報酬がもらえるのだから、波風を立てないほうが得である。問題を解決するには司法の力を借りる選択肢しかなかったのである。

もっとも、今回のゴーン逮捕劇は、タイミング的にみて、ルノー日産三菱自連合の経営統合計画を見据えたいわゆる国策逮捕である可能性が高い。一方で、この時期に西川社長が業績不振でゴーン問題に関係なくの解任説もあったが、これに関しては流石に西川社長の保身のために司法当局が国際問題化のリスクを犯してまで動くことは流石に考えにくい。

そう考えると、問題解決は不正が起きてからかなり遅れているが、結果的にゴーン容疑者の会長在職中に問題を明らかにできたことは、日本人のサラリーマン役員にすれば十分にやれた方ではないか。さらに結果的にルノーとの経営統合を阻止し、売り上げ11兆円の日本企業の仏企業化を阻止したのだから責任の果たし方としては十分すぎると思うがどうか。

とは言え、西川社長は結果的に企業ガバナンス問題を利用した形でこれまで存在した代表権のある取締役会長を廃し、自らが名実ともにトップにたつことになる。織田信長を本能寺のクーデターで追いやった明智光秀にもなぞられる西川社長であるが、今の所、明智以上の策士であろう。

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